月輪寺と十一面観音たち

2012年7月15日 月輪寺が山崩れにあいました。その記事はこちらから

白洲正子が「愛宕山は砥石が出るところで、それがこまかく砕けているので、歩きにくいことおびただしい。

途中で、何度も引き返そうかと思ったが、暗い森をぬけたとたん、美しい展望がひらけ、はるか上の方に、お寺の本堂も見えて来た。」(「十一面観音巡礼『市の聖』」)と書いている月輪寺に詣でてみました。

 

月輪寺への道は京都の西北にそびえる愛宕山へお参りする道でもあります。 

 京都バスの清滝バス停から15分程歩き、清滝川に架かる金鈴橋を渡ると、そこが愛宕山への参詣道の始まりです。

車なら金鈴橋のたもと、公衆トイレ横に有料駐車場に止めるか、清滝トンネル手前の空き地に駐車し30分歩けば橋に着きます。 

橋から右に行けば表参道、愛宕山への最短登山コースです。

月輪寺へは右の月輪寺、高尾方向への道を行きます。

 

空也の滝・月輪寺・高尾への分岐
空也の滝・月輪寺・高尾への分岐

清滝川に沿って15分程歩くと、空也の滝・月輪寺・高尾への分岐に出ます。

ここを「右 月輪寺」と刻まれた石の道標の方向に進みます。

  

ここからは、階段状に整備されてはいますが、ガレ石の山道を一気に上っていきます。

月輪寺の標高は600~700メートルくらいでしょうか? 1時間程の山登りです。

お参りされる方は、山歩き用の靴かスニーカー・汗拭きタオル・お茶は必需品です。

お寺に着いたら、美味しい湧き水と目の保養が待っていると思えば、がんばれます。

 

 

 「白洲正子さんも観音様に会いに、この道を登ってこられましたよ。

『疲れた身体を十一面千手観音様の前で休ませてうとうとしていたら、観音様の赤い唇の間から暖かい光が私に向けて発せられ‥』と話されていましたよ。」と、住職様のお話。

 

その頃は、今風の宝物館ではなく、本堂に安置されていたようなので、観音様を取り巻く空気はいかばかりだったか!と想像してしまいます。

そして、「十一面観音巡礼」の出版時に白洲正子は65歳。私くらいの年齢から、京都をはじめ近畿の山野をあるき廻っていたのだと思うと、なんだか嬉しくなってくるのです。 

←階段が終わり道がゆるやかになったと思ったら、月輪寺が見えてきます。

 

尼僧の住職様が出迎えてくださいました。

「愛宕山へお参りで?」と聞かれたので、「いえ、観音様に会いたくてこちらに」と答えたところ、本来は宝物館は予約が必要なのだが、今日は開けましょうとおっしゃってくださいました。

ありがとうございます!!私のように信仰心がないものでも”仏様のお導き”と、合掌する心持でした。

 

準備された桶の湧水で汗をかいた顔を洗い、龍奇水(空也上人が清滝川の龍神から授かったといわれる崖下からの湧き水の霊水)で乾いた喉を潤した後、おいしい昆布茶までいただきました。

本堂
本堂

宝物館では、月輪寺御詠歌【月影の 至らぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞすむ】の説明から始まって、仏像一体一体について、丁寧な説明をしていただきました。

絵はがきからUPさせていただいた写真から、いかにすばらしいものかは判って頂けると思います。

千手観音は言うまでもなく、聖観音と十一面観音の角ばった顔と身体の曲線!古い年代を感じさせます。

他にも、重文の梵字が刻まれた銅鏡、空也上人像、九条兼実坐像‥見るべきものは沢山あります。

 

ただ、「現在の宝物館にしてから、空調があわないのか、カビがひどくなってきたようで、彩色もこころなしか落ちてきたような気がする。」とのお言葉に、とても心配になってきました。

先代の住職様(現住職のお母様)が来るまでは、人も住まない荒れ果てたお寺だったのを、私財をなげうち、再興し、宝物館を建て、他所に預けてあった仏像(十一面観音は京都国立博物館から)も迎え入れたそうです。

 

今はご子息の副住職様と二人で、冬は零下17℃になるこの地に住まわれて、檀家のない寺を守っておられます。

数年前にやっと電気と電話が通ったが、火事の予防のため、以前は使っていた薪などの火気は一切使えなくなり、盥(それもプラスチックは凍って割れるため、全て真鍮)で行水をする生活との事!

 

 

松尾大社、桂川、奈良の山々まで見渡せます
月輪寺からの雄大な眺め‥松尾大社、桂川、奈良の山々まで見渡せます。 愛宕山は木々に囲まれ展望が悪いので、ここが唯一絶景の場所です。

以前は、修繕や維持にさまざまな協力をしてくれる方もいらしたが、昨今は全く‥行政に訴えてもどうにもならない‥本堂の雨漏りだけでも何とか‥と嘆いておられました。

 

車が入る道がないのですから!!資材を運び込む事から大変な作業であることは、想像に余ります。

でも、一度ここに登り、湧水をいただき、眼下に広がる展望を見て、仏様を拝んだ心ある人なら、

此処がこの地に、いつまでもあって欲しい!と願わずにはいられないだろうと思うのです。

 

僅かな志納金だけでなく、何か私たちにできることはないかと(K)と話し合っています。

この記事を読んでくださった方も、是非一度訪れてみてください。

 

次に先程の分岐に戻り、今度は左の石段を登って、空也の滝を目指します。

木立に囲まれた道は密やかに静まり、滝から落ちる水がつくる渓流は力強く、

心身ともに洗われるような気持ちよさです。

20分程で着いた鳥居をくぐると、何棟かの建物の奥に滝が現れます。

 

前鬼と後鬼を従えた役行者も鎮座し、綺麗に清掃された空間は、今も山伏の行場として大切にされていることがうかがわれます。