<山陰めぐりパスの旅>・・・『世界遺産石見銀山』編

よく聞かれる質問「鉱山って、見て面白いの?」

「すっごく面白いですよ~!!」

今まで行った「生野銀山」「佐渡金山」「菅谷たたら」・・・どれもヒトの生活・歴史の匂いがムンムンしてワクワクしてきました。

 

今回はアジアで初めて鉱山遺跡が世界遺産となった「石見銀山」、テンションが上がります。

 

どうせなら、プロに案内してもらおうと、「大久保間歩(マブ・・銀を採掘した坑道)ツアー」(この間歩はガイド無しでは入れません)を3800円払い事前予約して参加です。

しかも、「石見銀山概説」ともいえる優秀な事前講義を地元の友人から受けたので、フィールドワークへの準備はバッチリです。

 

そして「石見銀山ガイド」の人はとても勉強家。説明も質問に対する答えも、遺産とここに暮らした人々への愛に満ちていて、とても好ましいものでした。

 


大久保間歩のある本谷です・

「谷に沿って、あの向こうに見える小高い山に向かいますよ~」

「おうー!」

定員20人をほぼ満たす参加者は小学生から中高年まで・・・滑らないように!


途中に見える「金生坑」


 

さあ、ここが「大久保間歩」、石見銀山最大の坑道です。

参加者は途中で全員、長靴・ヘルメット・懐中電灯を手にした姿に変身しています。


坑道の中は漆黒の闇。当時の人は螺灯(らとう)というサザエの殻に油を入れて火を灯すわずかな明かりが頼りだったそうで・・・

では問題「暗闇の中、銀の鉱脈をどうやって見つけたのでしょうか?」

・・・応えは「音」です。プロの職人業ですねえ(感動)

科学が発達した現代でも、最後は一流の技術者が「音」で聞き分ける業種がいっぱいありますよね。

時代や技術が変わっても、大事なことは変わらないんだ、となんだかほっとする私。


この巨大な坑道をすべてノミで掘ったのか?と思っていたら、さにあらず。

地面から1.5メートルくらいの高さまでは火薬を使った明治期以降の堀り(岩面が荒くえぐれている)、その上の人がやっと座れる高さが以前の手彫り(岩面が水平できれい)だそうです。

ということは・・・這ったりいざったりしてわずかな明かりと音を頼りに、ノミを片手に掘り進む姿が目に浮かび、またまた(感動)

こんなふうにツアーでは、採掘方法・採掘量・働く人の生活などの説明が具体的に語られ、参加者の「ほーっ」っという感嘆の声に変わります。とても良い雰囲気です。



大久保間歩を出てしばらく登ると、釜屋間歩の周りに広がる景観に行きつきます。まるで石舞台。

ここから掘られた銀が徳川家康のもとに牛の背に揺られて送り出される姿が目に浮かびます

ツアーはここまで。

このまま登って行くと仙ノ山山頂の「石銀集落跡」へたどり着くのですが、それは次回へのお楽しみ♪



世界遺産は石見銀山だけをみても片手落ちなのです。

銀を運び出す2ケ所の港、「鞆ケ浦(ともがうら)」と温泉津「沖泊(おきどまり)」とそれぞれに続く街道、そして、なるほどと思ったのは、銀山の柵内を囲む3つの山城、沖泊港を左右から見下ろす2つの山城です。

戦国時代、九州・西国の武将たちが銀の輝きを目指しバトルを繰り広げただろうことは想像に難くありませんから。


「鞆館」・・鞆ケ浦のサテライト施設

私は特に、この竹の外装に魅入られました。

竹の節を残したまま縦に細く割り目をいれ板状にして貼り付けています・・・美しい!



「鞆ケ浦」

正面の島が、銀山を発見した博多の商人・神屋寿禎(かみやじゅてい)が祭られる「鵜島厳島神社」


「沖泊」への街道


「沖泊」の港

今は静かな美しい港です。

この両側に山城があった時代はどんなに賑わったことでしょう。

「鼻ぐり岩」がありました。

鼻ぐりとは牛の鼻にはめられる鼻輪の事。確かに似ています。

ここに船の係留ロープをくくりつけたのでしょう。




「世界遺産石見銀山」、見たい・歩きたいところが見えてきました。

次回、リベンジです。