重森三玲の故郷を訪ねて

岡山県加賀郡吉備中央町、”永遠のモダン”といわれる作庭家「重森三玲」の故郷です。

ここは、吉備高原の一部。春や秋はどんなにか彩り豊かにだろうと想像させる、なだらか田園地帯でした。

 

「重森三玲記念館」を訪ねると、地元の方がとても親切に案内してくださいます。

氏の代表的な著作や名園の実測図のほか、展示されていた書画や陶芸、それらを見ると、「日本庭園史大系」という根気の要る大事業を成し遂げながら、自己の感性を豪放に表現し続けた重森氏の「ひと」が見えてくるようです。 

 


【天籟庵(てんらいあん)】

重森氏が(なんと!)18歳の時に自宅の庭に設計し建てた茶室です。

茶室には茶事のスタイルの真・行・草、書体の真書・行書・草書にならい、3つの床が造られています。

見上げると「船底天井」が美しい曲線を描いています。

18歳にしてこの発想‥すごくないですか?

 


生家から記念館横に天籟庵を移築した時に、重森氏自身がデザインして造った庭です。

天然素材では恒常的な手入れは難しいだろうと、彩色セメントで造られています。

2色の境目には一段明るい線がくっきりと引かれ、えんじ色の部分はグンッと肉感的に盛り上がって見えます。

古風に見える竹垣は、うん?ナニ垣?と見れば、奇妙な八の字が‥地元が大事に祀り続けている、お隣の「吉川八幡宮」の「八」の字だそうです。

奥にはきっちりと、こんもりとした杉苔と時代物の蹲が据えられています。

何という自由な発想!美しいライン!

やっぱり、好きだなあ!

 


記念館隣にある、国の重文に指定されている「吉川八幡宮」

本殿と拝殿の栩(とち)葺きの屋根の曲線はそれは美しいものでした。

鎮守の森の木々は大事に守られています。

境内の檜の巨木、檜皮葺の屋根に使いたいと求められたということで、樹皮が剥がされた跡が見えます。どこの寺社の屋根を飾っているのでしょう。

 

向かいにある前方後円墳を抱える森(ここにもわざわざ案内していただき、感激!)も、住宅地の後方の森も神社の持ちもので、植樹も伐採も計画的にしてると聞きました。

失礼にも思わず、「後を継ぐ若い人たちもいるのですか?」と、聞いてしまったら、大丈夫と自信のある返事が‥嬉しいです!

 

 


昨年の祭りで作られた「当番様」と呼ばれる神人の「仮屋」がそのまま残されています。

吉川八幡宮随神門


私の生家の隣は神社です。

長い(子供心にはそう感じました)参道を抜け、鬱蒼とした木々に囲まれた長い(これも、子供心には‥)石段を登った上にある神社は、村内を眼下に望む高台にあります。

神様が居る、とは思わなかったけれど、子供たちにとって「お宮さん」は、毎日の遊び場であるとともに、特別な場所でした。

 

重森氏にとっても、このような歴史のある神社を大切に祀る土地で育ったことが、その作品や生き方に多大な影響を与えたのだろうと思われ、ここまで来た甲斐があったと、K と喜び合いました。

 

 

次に訪れた重森氏の生家は、立派な石垣に囲まれた蔵が3つもある、元は庄屋さんのお家です。

息子の才能を信じ援助した御両親の姿が偲ばれます。

 

今は復元された石垣の上に建物は無く、処女作の庭(28歳)が復元されています。

有名な庭に見られるような石こそ使われていませんが、精一杯集めてきたであろう石でつくられたその庭の、2つの巨石が聳え立つ姿は「まさしく重森三玲!」と感じさせてくれます。

 

 


最後に、吉備中央町役場の中庭に、京都の友琳会館から移築された【友琳の庭】を見に行きました。

日曜日でも2階から見せてくださるとのこと。恐る恐る日曜出勤らしい方に声をかけたところ、館内に招きいれていただき、2階からご自由にどうぞといっていただきました。優しい対応です、ありがとうございました。

どうですか、この石のコントラストとシャープなライン。

水面は常に静かに動くように、水が湧き出しています。


置かれた石も一つ一つが厳選され集められたであろう見事な物でした。

下の飛び石は、日常的に使われる通路です。

この庭を中心に役場の建物はデザインされているようです。

水中から建ちあがる、渡り廊下になっている木製の塀が効いています。

郷土出身の作家の作品を、こんな風にお金と手間ひまをかけて取り入れた自治体の”やる気”に拍手を送りたい気分です。