平泉寺白山神社

今春「青春18キップで九頭竜線にGO」で紹介した福井県大野市。そこの歴史博物館に、「白山信仰」についてのパネル解説コーナーがありました。

それ以来訪れたくてウズウズしていた、お隣の勝山市にある「平泉寺白山神社」にやっと行ってきました。

 

みてください、この鬱蒼と茂るただならぬ雰囲気を漂わせた森。

下馬大橋を渡るとすぐに、この旧参道入り口があります。

菩提林とよばれる、樹齢数百年の杉並木にかこまれた道が続きます。この先に霊峰白山があるのだと思うと、なんとなく神妙な面持ちになります。

 

 

 

 

一方通行の車道(昔の馬道)の脇には500年ほど前に造られたという幅1.5Mはありそうな石畳道があります。1キロぐらいは続くでしょうか‥さすが「日本の道百選」に選ばれるだけの雰囲気を兼ね備えています。

 

できれば車を橋の脇の駐車スペースに置き、ここから歩いて神社までを辿りたいところです。

 

 

 

 

 


一の鳥居が見えてきました。

その前に腹ごしらえを、と思って入った石段前のお蕎麦屋さん「そば処 まつや」

観光地によくありそうな外見だけど‥とりあえず《お腹が空いた~!!》と入ったのだけれど、

さすが越前、すこぶる美味!! 

しかも、窓から見える素晴らしいお庭(右下の写真)は、いつの時代のもの?! お勧めです。


一の鳥居をくぐった奥左手に白山神社社務所があり、その奥に名勝「旧玄成院庭園」があります。

訪れる人はあまり多くはないようですが、室町時代に作庭されたお庭が大事に残されています。

写真をよく見ると、右奥に本尊石、その周りを囲むように石が並んでいるのが判ります。

左手前には白っぽい木の左に石の瀧が作られていて、その手前に鶴島・亀島が見えます。少し手をいれれば470年前の庭園が見事に蘇りそうです。


平泉寺白山神社は、杉林の森と豊かな苔が作り出す景観で有名ですが、中でもこの庭の苔は高級絨毯のように盛り上がり特に見事です。

しかも、上の写真、なんだか時代がかって‥と消えかけた文字を拾ってみたら「昭和6年、文部省」の字が読めます。

名勝に指定された翌年に掲げられたものを大事に残されているのです。

ほとんど庭と一体化した造形物のようです。


二の鳥居、額は「白山三所大権現」
二の鳥居、額は「白山三所大権現」

 

御手洗池(みたらしいけ)‥古来は平清水と呼ばれ、後の「平泉」の由来となったという池です。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

拝殿に向かう石段手前は二股に別れ、その三角の中に3本の杉が植えられています。

中央に泰澄大師お手植と伝えられる御神木が見えます。

 

ここを登っていくと正面に拝殿が見えてきます。

 

    

 

石段を、池を挟んだ向かい側からみた風景です。

美しい‥という言葉以外に表しようがありません。

池に目を落とすと、此処にも苔と共にショウジョウバカマがひっそりと浮かぶように見えます。‥トノサマガエルも、なんとなくのんびりしているように感じられます。

 

 

御手洗池から拝殿への道と平行するように、二の鳥居をくぐって拝殿へ向う石段があります。

滋賀県大津市坂本の日吉大社と同じ、合掌形の破風を架した堂々とした山王鳥居です。

 

拝殿前に、一向一揆で焼かれる前の拝殿の礎石が残っていました。

間口四十五間八分というから80Mを越していたと言うこと!

なんとも巨大な拝殿であったようです。   

拝殿の背後、巨石を集めて積み上げた石垣(僧坊が大きさを競って寄進したそうです)の上にある、本殿にたどり着きました。

 


昇り竜
昇り竜
降り竜
降り竜
壁面の浮彫
壁面の浮彫

平泉寺は最盛期六千の坊院をかかえた、山岳寺院です。

国の史跡に指定され、発掘調査と一部復元作業が進められています。

この発掘現場を、そのまま観光コースとして組み込み、見学できるようにしているところが「偉い!」と思いました。

残念なことに、ここまで来る観光客は余り多くは無いようですが‥

私たちはとても面白いと感じましたよ!

復元された石畳道
復元された石畳道
復元工事途中の石畳道
復元工事途中の石畳道
古い石垣・石畳がきれいに残っている道
古い石垣・石畳がきれいに残っている道
旧境内の門・土塀の復元工事途中(2013年3月まで、と書いてありました)の現場
旧境内の門・土塀の復元工事途中(2013年3月まで、と書いてありました)の現場

最後に----

下の写真は、発掘現場におかれていた勝山市教育委員会作成のパンフレットです。

この古い絵図の他に、発掘調査の範囲や説明が記載されています。

他、今回社務所で入手した「白山神社史」(平成4年、白山神社史編纂委員会発行)と「白山神社の栞」(昭和31年白山神社発行)は山岳信仰や、神仏習合、神仏分離などを理解するのにとても参考になりました。

発行者・発行年度によって、内容や表現が微妙に変わっていること自体が、明治期の神仏分離令が引き起こした混乱を物語っているようです。

「平泉寺」「白山神社」「白山平泉寺」「平泉寺白山神社」「中宮平泉寺」色んな名前が飛び交っていて、建物はどうも神社らしい‥ここって、お寺?神社?

ネットにも掲載されているそんな疑問が、そこそこ解明できます。